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文化与艺术

61《你好!翻译,再见!纸币》

胡萝卜 胡萝卜胡话 2023-09-01

『元日

王安石(1021-1086)

爆竹声中一岁除,春风送暖入屠苏。
千门万户曈曈日,总把新桃换旧符。

爆竹の騒ぎの中で年を越え、春風の中屠蘇を飲む
初日の出の陽が門照らし、新旧桃符を貼りかえる

《翻訳後記》
僕が初めて中国で春節を迎えたのは、2013年の冬でした。あの年、僕は友人の夏さんに連れられ初めて中国へ来たのです。大阪から上海へ飛び、まずは上海の町を観光しました。外灘や租界、魯迅記念館、豫園など数々の観光地を訪れました。その後、夏さんの故郷である安徽省の農村へ行きました。その農村にはコンビニやスーパーもなく、小さな商店があるだけの本物の農村でした。僕はそこに一週間ほど滞在し、夏さん一族と一緒に麻雀をしたり、お墓参りをしたりして、初めての旧暦正月を過ごしました。当時はまだお金が紙幣だったので、貰ったばかりのお年玉を賭けて麻雀をしたことを覚えています。

我第一次在中国过春节,是2013年的冬天。那年,我在朋友老夏的带领下第一次来到中国。我们从大阪出发,第一站先飞往上海。在那里,我们游览了外滩、租界、鲁迅纪念馆、豫园等诸多景点。之后,我们前往了老夏的家乡——一个位于安徽省的农村。那个村子既没有便利店也没有超市,只有一些小商铺,是个名副其实的农村。我在那里逗留了大约一个星期,和老夏一家一起打麻将,一起扫墓,第一次度过了农历新年。那时纸币还在广泛流通,我还记得自己把刚收到的压岁钱都用来打麻将了。

当時の僕は“你好”と“谢谢”くらいしか話せず、夏さんのお母さんの作ってくれる家庭料理を食べては一言「好吃!」と言い、お父さんの注いでくれる白酒を舐めては一言「好喝!」と言っていました。当時夏さんの家では料理の度に、薪を割って窯に火を起こしていたので、窯で炊いた米には、鍋の底に焦げが出来ました。夏さんは久しぶりに実家で食べる焦げたお米をとても美味しそうに食べていました。

当时的我只会说“你好”和“谢谢”这种简单的中文,每次吃了夏妈妈做的家常菜后,我都会说一句“好吃!”,喝了夏爸爸倒的白酒后,我会回一句“好喝!”。那时夏家每次做饭都要先劈柴,然后在灶台里生火,这样做出来的米饭会带些锅巴。老夏久违地吃着家乡的锅巴饭,吃得津津有味。

その当時、夏さんの家にはいわゆるトイレというものがなく、排泄物はそのまま畑の肥料になっていました。僕が便意を催すと、夏さんは僕を馬小屋のような所に連れていきました。その薄暗い小屋には、ぽっかりと暗い穴が一つ空いているだけで、もちろんトイレットペーパーなどというものもなく、ただ破れた古い教科書が一冊置いてあるだけでした。夏さんによると、それをちぎって手で揉んでお尻を拭くのだと聞き、僕は懐かしい時代にタイムトラベルしているかのような気持ちになりました。

那时,老夏家里还没有所谓的厕所,排泄物会直接被用作农田的肥料。每当我便意来袭,老夏就会把我带到一个马棚一样的地方。那个昏暗的小屋里,有一个黑乎乎的洞。当然,那里也没有厕纸这种东西,只摆着一本破旧的教科书。老夏告诉我,那本书是用来擦屁股的,自己撕就行。听着老夏的话,我感觉自己好像穿越到了古老的过去。

そのような、日本ではなかなか体験できないことを体験し、中国の面白さを直接体感したのです。

在老夏家度过的时光,让我体验到了在日本无法体验到的事情,真切地感受到了中国的有趣之处。

そして、いよいよ日本へ帰国する日が来ました。僕らは夏さんの両親や親戚にお別れの挨拶をし、車に乗りこみました。僕は覚えたばかりの単語で“非常感謝!”と言い、夏さん一家にお礼をしました。やがて車は動き出し、手を振る両親の姿がどんどん小さくなっていきました。僕はこの数日楽しかったことを隣の夏さんに伝えようと夏さんの横顔を見ると、夏さんの目からはとめどもなく涙が零れ落ちていました。

终于,到了回日本的日子。我们和老夏的父母、亲戚作别后便乘上了返程的车。我用刚学会的词语“非常感谢!”来向老夏的家人表达谢意。很快,车子开动了,老夏父母挥手的身影也逐渐远去。我刚想告诉老夏这些天我很快乐,转头却看到泪水正不停从他脸上滑落。

その時、僕は少し驚きました。今生の別れでもないのに、どうして泣くんだろうと不思議に思いました。しかし、こう思い直しました。“夏さんがこの農村から日本へ行く距離と、僕が日本からこの村へ来る物理的な距離は同じです。しかし、心理的な距離は全く違うのだ”と。夏さんの涙からはそのような重さが感じられました。

那一刻,我有些惊讶。又不是永别,为什么要哭呢?可转念一想,老夏从这里去日本和我从日本来到这里的物理距离虽然是一样的,但心理距离却截然不同。我从他的眼泪中感受到了那份沉重。

…あれから10年が経ちました。紙幣は電子化され、QRコードの中に僕らの情報は収まってしまいました。しかし、この先どれだけ電子化が進んだとしても、中国から麻雀や爆竹が無くなることはないでしょう。いつの日かまた中国で、爆竹の音を聞きながら麻雀卓を囲める日が来ることを楽しみにしています。

至此,已经过去10年了。电子支付方式不断普及,我们的信息也被储存在二维码中。但我想,无论将来数字化发展到何种地步,麻将和爆竹都不会从中国消失吧。期待未来的某一天,我还能在中国边听着爆竹声,边坐在麻将桌前打麻将。

ちなみに来年の春節、夏さんは数年ぶりに村へ帰省するそうです。新妻を連れて…。

顺便说一下,时隔数年,老夏打算明年春节回乡探亲。带着他的新婚妻子......


翻译:不完全燃焼
校对:dd

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