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中日双语 | 生活,让我们心与心离得更近

森川裕希惠 人民中国 2020-03-18

从熟悉的东京来到北京,和很多日本人一样,森川裕希惠起初有许多惊喜也有不少困惑。而经过一年的北京生活,她看待中国的视角又有了怎样的变化呢?



我开始在北京生活,马上就要一年了。不息的车流和人流、设计新颖的高楼、从小孩到老年人都轻车熟路的电子支付、量足份大的饭菜、有点大嗓门的大叔。刚来的时候,我惊讶于北京和住惯了的东京的不同,也总是有一些事情让我感到困惑。现在,我则慢慢融入了这样的北京生活,开始体会这种日子里的舒心。


来到北京以后,我和很多在中国生活的日本人也逐渐有了交流。特别是一些学生和企业派来的留学生等年轻人,他们利用各种时间,参加志愿者活动、策划与日中有关的活动等,活跃在各种与当地人进行交流的场合。他们当中也有人说,自己是到了中国以后才变得外向起来。而我认为其中的原因之一,就是受到了中国的活力和中国人与人之间距离感较近的感染。日本人需要很长时间才能和别人变得亲近,而与人保持一定距离也意味着对彼此的尊重;但中国人就算是第一次见面也不会觉得陌生,而是像老朋友那样容易亲近。


在河北省承德市滦平县,森川裕希惠(后)与火斗山小学的学生们在一起


实际上,我也是和中国的一个朋友在同一个屋檐下生活后,才有了许多发现。我们刚开始合住的时候,她就总跟我说:“我们在一起住就不要拘谨啦。”原来,我一直认为自己没有拘谨的事,在她看来却是非常见外。她会不打招呼就用我的锅和调料,也会直率地跟我说希望我这么这么做。我感冒的时候,她会给我端来热汤;我有困难的时候,她会随时帮我,没有一点嫌麻烦的样子。让我感动的是,自己这么快就缩短了和朋友之间的距离,拥有了释放自我的空间。


在北京邂逅的很多日本人都说,他们在中国人当中感受到了“人情”和“家的温暖”。对于“亲近”背后,中国和日本各有各的价值观。这种价值观的不同十分有趣,而并非孰对孰错。比起踯躅于日本式的价值观里,倒不如跃身这种环境,给释放自我创造一个契机。


希望日中两国的年轻人能够消除自己国家的那把标尺,通过加深心与心之间的交流,促进未来两国关系的发展。



日文原文:


生活を通して近づく心の距離 


北京での生活が始まり、もうすぐ1年になる。人や車の多さ、斬新なデザインの高層ビル、忙しく走る宅配サービスのバイク、子どもからお年寄りまでが使いこなす電子マネー、ボリュームたっぷりの食事、ちょっぴりしゃべり声が大きなおじさん。来たばかりのころは、住み慣れた東京との違いに驚きの連続で、戸惑うことばかりだった。今では北京の暮らしにもなじみ、心地よさを感じ始めている。


北京に来てから、中国で暮らす多くの日本人の人たちとも交流を持つようになった。特に、学生や企業派遣留学生などの若い世代は、豊富な時間を利用して、ボランティア活動をしたり、日中関係のイベントを企画したりするなど、積極的に現地の人たちとのコミュニケーションの場に参加している印象がある。彼らの中には、中国に来てから外向的になったという人もいた。私は、その理由の一つとして、中国のダイナミックな雰囲気、中国人の人との距離感の近さに刺激されているのではないかと思う。日本人は親しくなるまで長い時間を要するし、一定の距離を保つことでお互いを尊重するところがあるが、中国人は初対面でもまるで以前から友達だったかのような親しみやすさや人懐っこさがある。


実際に私自身も、中国人の友人と同居を始めてから、多々発見がある。同居を始めたばかりの頃、彼女はよく私に「一緒に住んでいるのだから気を遣わないで」と言った。私の中では普通にしていたつもりだったが、彼女からしたらとてもよそよそしい感じがしたらしい。彼女は私の鍋や調味料を断りなく使うし、私にこうしてほしいと思ったことはストレートに伝える。そして彼女は、私が風邪をひけばあったかいスープを作ってくれ、困ったことがあるといつでも嫌な顔をせず助けてくれる。こんなにも早く友人との距離が縮まり、自分を出せる空間を作ることができたことに少し感動を覚えた。


北京で出会う多くの日本人が、中国の人たちに「人情」や「家族のような温かさ」を感じると言う。「親しき中にも」の価値観に日本と中国では違いがある。どちらが正しいというわけではなく、その違いがとても面白い。また、日本的価値観の中だけでとどまるよりも、このような環境に飛び込んでみることで、自分の制限を外すきっかけとなるのではないかと思う。


日本と中国の若者が自国のモノサシをなくし、心と心の交流を深めることで、今後の日中友好関係の発展に期待したい。



 

翻译:续昕宇





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